酸っぱいブドウ
心理学で使われる「認知的不協和」という用語があります。
自分の中に矛盾したものを同時に抱えている状態をしめす言葉で、その説明によく出てくるのがイソップ物語の「キツネとブドウ」です。
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美味しそうなブドウがなっているのを見つけたキツネが、跳び上がって採ろうとするが、ブドウは高いところにあって届かない。何回もチャレンジをくり返すが、結局食べることができなかった。
キツネは「どうせあのブドウは酸っぱくておいしくないんだ」といって去っていく。
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キツネは美味しそうなブドウを見つけて、それを食べたいと思っていました。
しかし、どう頑張っても届かない。
「食べたい」のに「食べられない」わけです。
このままでは心が乱れて苦しいですね。
落としどころを見つけなければなりません。
どうしても手に入らないことが分かっているので諦めるしかないのですが、そこはやはり自分の実力だとは思いたくない。
そこで、「美味しそうなブドウ」という認知を「酸っぱくてまずいブドウ」に変えてしまうことで、自分を納得させるのです。
あれは採る価値がないのだ、と。
「○○したい」「けれどできない」
このような状態は、多かれ少なかれ誰しもが体験していることでしょう。
私にも大いに覚えがあります。
あなたも体験したことがあると思いますが、この認知的不協和はとても不快ですよね。
簡単なものなら変えたり、手に入れたりすることができます。
しかし、とっても欲しいものは簡単には手に入らないことが多いものです。
(なかなか手に入らないからこそ、欲求がどんどん高まるのですが)
出口の見えない困難に直面すると、心はストレスを解決するために、自ら認知を変え始めます。
そして、その変え方は自己防衛的です。
価値がない、そんなものは自分にはふさわしくない、なくても全く困らない、それを手に入れているのはどうせ大したことない人間だ、etc…
「あえて努力しない」のであって、「手に入れられない」わけではない
ということにするのですね。
例えばお金。
誰でもお金は欲しいと思いますが、誰もがお金持ちになれるわけではありません。
お金が欲しい。でも実際自分にはお金がないし、手に入れる方法も分からない(または頑張っても貯まらない)。
これはストレスです。
よって、自己防衛・合理化によってこの認知的不協和からの脱出を図ろうとします。
テレビなどでお金のある人を見て
「あの人は絶対悪いことしてるよ」
「悪どいことしないとお金なんて貯まらない」
「お金お金って醜いな」
お金を求めない自分の方が清らかだというわけです。
しかし、お金=汚いというその観念がすでに自己防衛によって作られたもの。
嫉妬はされる方より、している方がよほど精神的ダメージが大きいものです。
それを避けるためにお金を悪者にするのです。
モテている人に対しての嫉妬も同様です。
「見た目はいいけど中身がない」
「寄ってくるのもどうせ大した人じゃない」
健康に関する不安でも。
「酒とかタバコが必ずガンに結びつくわけじゃない」
「好き勝手やって長生きしている人はたくさんいる」
自分の能力に対して。
「本気でやればできるんだよ」(と言ってやらない)
以上は一例ですが、批評が全くの的はずれでもないことがあるのがまたくせ者です。
確かにお金にこだわり過ぎるのはみっともない感じもあり、健康に関する定説も、それを外れている人がたくさんいます。
だから、心の平安を保つために自分自身を護っていることに気付いていない場合がほとんどです。
ちなみに、英語圏では"Sour Grapes=酸っぱいブドウ"は負け惜しみを意味する熟語だそうです。
自己防衛してはいけないと言っているわけではありません。
手に入らないものだってあります。
それに心を残しておいては先に進めません。
文字通り自分を守るシステムなのですから、それによってとりあえずでも心の平安を得てこれまで過ごしてこれたことを考えれば、優れた働きだといってよいと思います。
諦めるのは大きなエネルギーが必要ですから…
ただ、「お金=汚い」といった観念や、モテる人のあら探しをすることが、自分の人生にとってプラスに働くことがないのは確実です。
お金を持っている人や、モテる人よりも、自分の方が優位に立つ理由を作ってしまったからです。
変わる必要がありません。
「お金持ちになんてならなくていい」
「人に好かれなくたっていい」
「今の自分を維持するんだ」
と言っているのと同じです。
そして潜在意識はその無意識の願いを叶えてくれます。
それからもう一つ。
本当にそれ、手に入らないんでしょうか?
先ほど述べたように手に入らないものもありますが、適切な努力をする前にあきらめてしまったケースの方が多いと思います。
日常の中でできるエクササイズとしては、自分が欲しいと思っているものを持っている人を見掛けたら、心の中だけでもいいのでそれを祝福してあげましょう。
リアルタイムで喜んでいる人がいたら、一緒に喜んであげましょう。
多少無理矢理でもかまいません。
潜在意識に、それを持つことが喜びにつながるのだということを教えてあげるのです。
批判はこだわりの裏返しという側面もあります。
ならば、批判を続けるよりも「そうなんだ~、じゃあ私も」といって一緒に喜んで、自分も“そっち側”にいった方が楽しいはず。
自己防衛の観念を手放しましょう。
一緒に喜ぶなんていっても、結局は自分のためじゃないかと思われるかもしれませんが、とっかかりはそれで全然構わないのではないでしょうか。
潜在意識が喜びで満たされてくれば、感謝は自然に湧いてくるのですから。
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