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2009年10月

酸っぱいブドウ

心理学で使われる「認知的不協和」という用語があります。
自分の中に矛盾したものを同時に抱えている状態をしめす言葉で、その説明によく出てくるのがイソップ物語の「キツネとブドウ」です。
 

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美味しそうなブドウがなっているのを見つけたキツネが、跳び上がって採ろうとするが、ブドウは高いところにあって届かない。何回もチャレンジをくり返すが、結局食べることができなかった。
キツネは「どうせあのブドウは酸っぱくておいしくないんだ」といって去っていく。

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キツネは美味しそうなブドウを見つけて、それを食べたいと思っていました。
しかし、どう頑張っても届かない。
「食べたい」のに「食べられない」わけです。

このままでは心が乱れて苦しいですね。
落としどころを見つけなければなりません。
どうしても手に入らないことが分かっているので諦めるしかないのですが、そこはやはり自分の実力だとは思いたくない。
そこで、「美味しそうなブドウ」という認知を「酸っぱくてまずいブドウ」に変えてしまうことで、自分を納得させるのです。
あれは採る価値がないのだ、と。



「○○したい」「けれどできない」
このような状態は、多かれ少なかれ誰しもが体験していることでしょう。
私にも大いに覚えがあります。
あなたも体験したことがあると思いますが、この認知的不協和はとても不快ですよね。

簡単なものなら変えたり、手に入れたりすることができます。
しかし、とっても欲しいものは簡単には手に入らないことが多いものです。
(なかなか手に入らないからこそ、欲求がどんどん高まるのですが)

出口の見えない困難に直面すると、心はストレスを解決するために、自ら認知を変え始めます。
そして、その変え方は自己防衛的です。

価値がない、そんなものは自分にはふさわしくない、なくても全く困らない、それを手に入れているのはどうせ大したことない人間だ、etc…

「あえて努力しない」のであって、「手に入れられない」わけではない
ということにするのですね。


例えばお金。
誰でもお金は欲しいと思いますが、誰もがお金持ちになれるわけではありません。
お金が欲しい。でも実際自分にはお金がないし、手に入れる方法も分からない(または頑張っても貯まらない)。

これはストレスです。
よって、自己防衛・合理化によってこの認知的不協和からの脱出を図ろうとします。

テレビなどでお金のある人を見て
「あの人は絶対悪いことしてるよ」
「悪どいことしないとお金なんて貯まらない」
「お金お金って醜いな」
お金を求めない自分の方が清らかだというわけです。
 
しかし、お金=汚いというその観念がすでに自己防衛によって作られたもの。
嫉妬はされる方より、している方がよほど精神的ダメージが大きいものです。
それを避けるためにお金を悪者にするのです。


モテている人に対しての嫉妬も同様です。
「見た目はいいけど中身がない」
「寄ってくるのもどうせ大した人じゃない」


健康に関する不安でも。
「酒とかタバコが必ずガンに結びつくわけじゃない」
「好き勝手やって長生きしている人はたくさんいる」


自分の能力に対して。
「本気でやればできるんだよ」(と言ってやらない)



以上は一例ですが、批評が全くの的はずれでもないことがあるのがまたくせ者です。
確かにお金にこだわり過ぎるのはみっともない感じもあり、健康に関する定説も、それを外れている人がたくさんいます。
だから、心の平安を保つために自分自身を護っていることに気付いていない場合がほとんどです。
ちなみに、英語圏では"Sour Grapes=酸っぱいブドウ"は負け惜しみを意味する熟語だそうです。


自己防衛してはいけないと言っているわけではありません。
手に入らないものだってあります。
それに心を残しておいては先に進めません。

文字通り自分を守るシステムなのですから、それによってとりあえずでも心の平安を得てこれまで過ごしてこれたことを考えれば、優れた働きだといってよいと思います。
諦めるのは大きなエネルギーが必要ですから…


ただ、「お金=汚い」といった観念や、モテる人のあら探しをすることが、自分の人生にとってプラスに働くことがないのは確実です。
お金を持っている人や、モテる人よりも、自分の方が優位に立つ理由を作ってしまったからです。
変わる必要がありません。

「お金持ちになんてならなくていい」
「人に好かれなくたっていい」
「今の自分を維持するんだ」

と言っているのと同じです。
そして潜在意識はその無意識の願いを叶えてくれます。


それからもう一つ。
本当にそれ、手に入らないんでしょうか?
先ほど述べたように手に入らないものもありますが、適切な努力をする前にあきらめてしまったケースの方が多いと思います。


日常の中でできるエクササイズとしては、自分が欲しいと思っているものを持っている人を見掛けたら、心の中だけでもいいのでそれを祝福してあげましょう。
リアルタイムで喜んでいる人がいたら、一緒に喜んであげましょう。

多少無理矢理でもかまいません。
潜在意識に、それを持つことが喜びにつながるのだということを教えてあげるのです。

批判はこだわりの裏返しという側面もあります。
ならば、批判を続けるよりも「そうなんだ~、じゃあ私も」といって一緒に喜んで、自分も“そっち側”にいった方が楽しいはず。


自己防衛の観念を手放しましょう。
一緒に喜ぶなんていっても、結局は自分のためじゃないかと思われるかもしれませんが、とっかかりはそれで全然構わないのではないでしょうか。
潜在意識が喜びで満たされてくれば、感謝は自然に湧いてくるのですから。

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人生における“善”

7世紀の中国・唐代に、後に詩人としても知られる白居易(はくきょい)という長官がいた。
愛する家族との死別や権力闘争に疲れ、人生に迷っていた白居易は仏教に傾倒するようになる。

その後、赴任した先に道林(どうりん)という禅僧がいることを聞きつけて会いに行った。
道林は変わり者として有名で、位が高いにもかかわらず山中で木の間に板を張り、その上で座禅しているというような僧だった。


白居易が訪れたときも木の上で禅を組んでいたので、「そんなところで危ないですよ!」と声をかけたところ、道林禅師は「あなたの方が危ない」と答えた。
あなたのいる世界には裏切りや犠牲、数々の危険があって、いつ足もとをすくわれるか分からない、そんなあなたの方が危険だ…というのである。

白居易は重ねて「仏教とはどういう教えなのか」と問う。
道林はある経典の一部を用いて「もろもろの悪を為すことなく、善いことをする。それだけだ」と示した。

とても高僧の言葉とは信じられない単純な答えに不満を持った白居易は「そんなことは3才の子供でも知っている」と反論する。

すると和尚は座禅をしたまま一瞥もくれず、「3才の子供でも知っているが、80才の老人ですらそれを行うことは難しい」と返した。

白居易はその意を悟り、深く頭を下げて去っていったという。


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二人とも実在の人物ですが、この問答は創作であるとか。
それにしても深みのある話です。

真実とは単純なものなのかもしれません。
しかしそれを実践することの、いかに難しいことか…


私は仏教に明るいわけではありませんが、(多分)仏教だって幸せになることを求めているのでしょうから、お釈迦さんも「幸せになるには悪いことをやめて善いことをしなさい」と言っているわけです。

大体、仏教徒でなくても「悪いことをやめ、善いことをしなさい」といわれれば「そりゃそうだ」と思うことでしょう。


では善悪の定義とは何か?
何が善で何が悪か、これはとてもデリケートで難しい問題です。

正義の名のもとに行われている戦争もありますが、ちょっと調べてみれば果たしてどちらが正しいのか単純に決めつけることはできないことが分かります。
テレビや新聞では、ごく一部の情報を発信する側が都合のいいように脚色していることもあります。

善悪の基準など、立場が変わればあっさりとひっくり返ってしまう類のものです。
どんなに信念を持っていても、それが他の人たちにとっては悪となってしまう場合もあるのです。


話を広げすぎたので、自分自身の生活ということで考えてみましょう。
幸せということを考えたとき、基準となるものがあります。

自分の心を汚してしまうのが“悪”です。
これは法律や道徳、倫理でいうような悪とは違います。
“自分の人生に対して”悪ということ。


やろうと思っていたことをやらなかった。
やめようと思っていたことをやってしまった。


このようなとき人は罪悪感を感じますが、それを味わうことを避けるためにいろいろな言い訳をつくります。
「だって、○○だから…」
これが最も心を汚すのです。

予想もしないアクシデントでどうしてもできなかった…ということもあるでしょうが、ここでいいたいのは怠慢についてです。

やらないことに対する正当な理由はないと思いましょう。
ある人は「忙しくて暇がない」と言うかもしれません。
自分の時間がないといいながら、ほとんどの時間をテレビを見ることに費やしている人もいますが、おそらくほとんどの場合、
本当に忙しいのだと思います。

しかし「忙しいから、やらない(やれない)」という人がいる一方、「忙しいけど、やる」人もいます。

そして不思議なことに、忙しいにもかかわらず、「けれども、やる」と時間をやりくりして休む暇もないほど動いている人の方がエネルギッシュです。

エネルギーが余っているから動けるのだと思うかもしれませんが、真実は逆です。
自分の人生に、よどんでいる時間を作らないから常に新鮮なエネルギーに満ちあふれているのです。


何が何でも変わらなければならないというわけでもありません。
今の自分に満足して、それを選ぶならそれも素敵なことです。
しかし、不満を持っていて、どうにかしたいと思っていながら理由をつけてやらないことを正当化しているなら問題です。

やろうと決めたことをやらなかったのなら、ああだこうだと理由をつけずに「やりたくないからやらなかったのだ」と言ってしまった方が、次に繋がります。

それは外に原因があるのではなく、自分の意志でそれを選んだということを意味するからです。
それなら改善の余地があります。


「知っていて犯す悪より、知らないで犯す悪の方が罪が重い」ということを聞いたことがないでしょうか?

もちろん、法律上の罪の重さをいっているのではありませんし、わざと悪いことをする方がよいということでもありません。

自分が善だと思うこと、自分には正当な理由があると思うことで見えなくなるものがあるのです。
己の姿が見えなければ反省もありません。
だから罪が重いということでしょう。

他人に迷惑をかけたとき、それが悪いことだと知っていてやったのであれば、反省を促し、行動を改めることもできます。

しかし、それが悪いことだと認識していない人間には、いくら説教をくれても全然心に届くことはないでしょう。
そして今後も同じようなことをくり返す可能性があります。
「だって知らなかったんだし」などと開き直ろうものなら、感情的にも火に油を注ぐことになるのは目に見えています。


自覚があれば、変わる道を進むことができます。
改心には自覚が前提だということです。
変われないということは、自分を知らないということでもあるのです。



このような観点から道林禅師の言葉を考えると、「心残りを作らず、自分自身に胸をはれる生き方をするだけ」と読むこともできます。

善なることを続けるのは難しい──。
きっと、道林禅師以前の時代からいわれているのでしょう。
そして現代までずっと。

まずは10分、いや1分、1回でもいいので、やろうと思っていたことに手を付けてみましょう。

やるまでは億劫に感じることでも、実際に始めればきっと「やってよかった」という喜びと充実感があるはずです。
それがあなたの人生にとっての“善”なのです。
 
 

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やられっぱなしにならない

日本人である我々の多くはおそらく「平和主義」なのだと思います。
なるべく争わない。
波風を立てない。
事を穏便に済ませようとする…

ここで考えていただきたいことがあります。
平和を守るとはどういうことか?
守りたい「平和」とは何か?
無抵抗=平和主義なのか?

政治的な話題ではなく、あなた自身の生活のこととして考えてみてください。

自分一人なら、ガマンすることもあるでしょう。
「自分がガマンすればいいんだ」と思ったことがある人は少なくないはずです。

では、家族や大切な人が危険な目に合っていたら?
黙ってみていることはできないのですよね。
直接的に命の危険がない場合でも、ストレスでいっぱいいっぱいになっている人に、「ガマンしてやりすごせ」とは言えません(一時的なことに対してはガマンも選択肢ですが)。

平和を、幸せを、安全を、命を守るために戦わなければならない場合もあるのです。
これをウソとは言わないでしょう。

しかし、平和主義を楯にとって、助けを必要としている人から目を背けるなら、これは立派な「ウソ」です。

人は自分の中にあるものを外の世界に見て、体験するので、心の中から争いがなくなるにつれ、争いごとから縁が遠くなります。
潜在意識の浄化やヒーリングをしていくと、人間関係がうまくいったり、いいことがたくさん起こるように感じるのはそのためです。

しかし、その過程ではネガティブだと思う経験をすることもあります。
そんなとき、あなたは自分自身を救ってあげる必要があります。

その状況によって、助け方は力だったり、智恵やお金、優しさだったりと様々ですが、最終的にあなたを救えるのはあなただけです。

もしあなたが何か問題を抱えていたり、ストレスにさいなまれているときに、その状況をそのままにしておくのは、自分自身を見捨てるのと同じです。

自分の心が傷ついているのを感じていながら何もしないとき、どんな理由をつけてもそれは「ウソ」なのではありませんか?

あなたにとって、あなたは最も大切な人です。
問題をそのままにしておいてはいけません。

直接的で最も効果的なのは「少しでもいいから行動を変える」ことです。

何でもいいので、、問題解決や願望達成に役立つと思うことがあるなら、このメルマガを読み終わったらそれをすぐにやってみましょう。
構えると途端に動きが重くなるので、ぜひ勢いのあるうちにやってください。

行動するまでは感じられなかったパワーが内側から湧いてくるのが感じられるでしょう。

 

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